一ノ関を発った芭蕉の次なる目的地は、鈴木清風の待つ尾花沢です。先を急ぐ芭蕉は中山越えの道を行きます。古くからの温泉地・鳴子温泉を左手に眺めながら、元禄2年5月15日(陽暦1689年7月1日)、仙台藩と新庄藩の藩境である「尿前の関(しとまえのせき)」にたどりつき、出羽街道中山越えと呼ばれる難所へ挑みます。尿前の関からほど近い、大谷川が刻んだ深さ100mに達する断崖絶壁は鳴子峡と呼ばれ、遊歩道が整備された現在では、当時芭蕉が楽しめなかった渓谷美を堪能できます。
蚤虱馬の尿する枕もと芭蕉
芭蕉が歩いた道のりに、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。


芭蕉道を訪れた旅人たちにおすすめの宿、周辺地域で楽しめる体験型プログラムをピックアップしました。より充実した芭蕉道の旅のプランニングにお役立てください。
宮城県・鳴子温泉
【鳴子温泉 鳴子湯乃里 幸雲閣】“黒い湯花”が舞う温泉日帰り&ランチ付プラン
大人4,000円 小児A(6歳〰12歳)3,000円 小児B(3歳〰5歳) 2,000円 入湯税は料金に含みます。

人跡もまれな難所越えが、芭蕉の前に立ちはだかる
取材に先立ち、鳴子峡へ立ち寄った
芭蕉の当面の目的地は、俳人として付き合いのあった商人・鈴木清風の住む尾花沢。一関から南下して岩出山(いわでやま)に宿をとり、5月15日(陽暦7月1日)に尾花沢に向けて出立。奥羽山脈を越えるため、出羽街道を西北へ進み「尿前の関(しとまえのせき)」にたどり着きます。太平洋側と日本海側を結ぶ要衝の地にある関所だけに取締りも厳しく、ようよう通り過ぎると、今度は自然の難所が行く手に現れます。「出羽街道中山越(でわかいどうなかやまごえ)」と称される道は、急峻な谷の上り下りを繰り返す坂道続き。日暮れに堺田に着いた芭蕉は、国境を守る役人の家「封人の家(ほうじんのいえ)」を今宵の宿としたのでした。そして雨に降られ2泊したあと、芭蕉は「山刀伐峠(なたぎりとうげ)」から尾花沢を目指すことにします。
通る人も少ない山奥の地
尿前の関
「蚤虱馬の尿する枕もと」の句が刻まれた碑には、明和5年(1766)建立の銘がある
句碑の右手から始まる「出羽街道中山越」の道へ。いよいよ難所越えにとりかかる森村師匠
「尿前の関」は、名湯として知られる鳴子温泉(なるこおんせん)とは江合川(えあいがわ)の対岸にあたります。芭蕉は、温泉の湯煙を横目に通り過ぎたようですが、森村誠一師匠一行は、出羽街道中山越に備え鳴子温泉に前泊。名湯を楽しみました。そして翌朝の2008年10月14日、ボランティアガイドの遊佐さんとともに「尿前の関」へ。関所の門と柵が復元された「尿前の関跡」があり、向かいには森に覆われるように立つ芭蕉句碑があります。おくのほそ道に「この道旅人まれなる所……」と、書かれている往時をしのばせるかのように、今も人の気配を感じさせません。難所に苦労した芭蕉の旅へと、しばし思いをはせました。
芭蕉の道行きをしばし体感
出羽街道中山越
「出羽街道中山越」。かつて鎌倉幕府に追われた源義経主従は、芭蕉とは逆に進み平泉を目指した。義経伝説の数々も残っている
国道47号近くにある「中山宿跡」は、当時の小規模な宿場
句碑をあとに、いよいよ出羽街道中山越に出発。「尿前の関跡」から堺田の「封人の家」までの約10km、かつての道が復元整備されています。スタート直後から道は険しい上り坂に。さらに進むと階段が続きます。このあと小深沢、大深沢と呼ばれる最大の難所です。難所越えに往生した芭蕉の気持ちをしばし体感します。ここで、いったんマイクロバスにて移動。「中山宿跡(なかやまじゅくあと)」に寄り、その先でバスを降り、再度、旧道を歩きます。最初に歩いたアップダウンのきつい道とは打って変わり、木漏れ日がやさしいなだらかな林間の道です。聞こえるのは森村師匠はじめ一行の枯葉を踏む音だけ。静けさが際立ちます。夕暮れの迫った道を急いだ芭蕉と曾良。さぞかし心細さを感じたことでしょう。
芭蕉が2泊した現存する建物
封人の家
「封人の家」にて。かつて、この囲炉裏端に芭蕉も座り、雨の止み間を待ったのだろうか
代々、堺田の庄屋を務めた有路家。山形県東北部に多い、広間型民家の代表的な構造を備えている
宮城県と山形県の県境を越え歩き続けることしばし、国道47号線にぶつかります。ここで旧道とは別れを告げ、国道をすこし歩けば「旧有路家住宅 封人の家(きゅうありじけ ほうじんのいえ)」へ到着です。寄棟造りの堂々たる建物の中に入ると、囲炉裏に揺らめく火が。歩き疲れた森村師匠一行を癒してくれます。公開されている建物は江戸時代初期の建築とのこと。とすれば、まさに芭蕉が泊まった家ということになります。馬の名産地であった堺田では、大事な馬は母屋の中で飼われていました。入口脇がその一角です。雨にたたられ、当家に2泊した芭蕉は、奥の座敷に案内されたと推測されますが、家中に響く馬の排泄音をきっと耳にしたことでしょう。旅先ならではの経験が生み出したのが「蚤虱 馬の尿(ばり)する 枕もと」の句です。
最後にして最大の難所へと向かう
山刀伐峠
今まさに山刀伐峠へたどり着こうする森村師匠。芭蕉の峠越えの苦労や恐怖が身に迫ってくる
おくのほそ道の山刀伐峠の一節を刻んだ顕彰碑。俳人・加藤楸邨(かとうしゅうそん)の筆
陰暦5月17日(陽暦7月3日)の朝、芭蕉は奥羽山脈越えの峠道で、最後の難所である山刀伐峠へ向かいました。そこは単に急斜面であるだけでなく、山賊や追いはぎに遭遇する危険もある道。封人の家の主人に勧められ屈強な若者を案内人にしました。現在は、標高470mの峠まで遊歩道が整備されています。が、日程の関係もあり森村師匠一行は、マイクロバスにて一気に峠近くの駐車場へ。そこから峠までは、ほんの数分です。峠の目印とされた子宝地蔵の祠と子持ち杉のある場に佇むことしばし。息をあえがせ、ようよう峠にたどり着いた芭蕉の胸に去来したのは、どんな思いだったのでしょう。

森村誠一(もりむら せいいち)
1933年埼玉県熊谷市生まれ。青山学院大学卒業後、10年間のホテルマン生活を経て作家活動に入る。『高層の死角』(第15回江戸川乱歩賞受賞)、『腐蝕の構造』(第26回日本推理作家協会賞受賞)、『人間の証明』(第3回角川小説賞受賞)『悪魔の飽食』『コールガール』など数多くのベストセラー作品を著し、本格派推理小説の世界で不動の地位を築く。作家活動40周年にあたる2003年には、第7回日本ミステリー文学大賞を受賞した。
近年は、新たな表現として“写真俳句”の創作、普及にも力を注いでいる。
公式HPアドレス http://www.morimuraseiichi.com/
森村誠一写真俳句館 http://www1.tategaki.jp/morimura/












