名蕉地100選とは
松尾芭蕉が江戸・深川を後にして、日光から草深き奥州の地を目指し、松島、平泉を巡り、出羽三山、越後、金沢、そして美濃路に至る長大な道行き「おくのほそ道」を物したのは、今から300年前、絢爛たる元禄文化がまだ幕開けを告げたばかりの時代でした。
芭蕉が歩いた道のりには、荘厳な大自然の神秘はもとより、古人の叡智が詰まった創造物や、実直で豊かな暮らしぶりがあふれています。東北・北陸にとって観光資源の宝庫、まさに宝の山への道しるべとして相応しいこの名作に、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。
No.1 清澄庭園
東京都江東区
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都営地下鉄大江戸線・東京メトロ半蔵門線清澄白河駅より徒歩3分
江戸俳壇に一家をなした芭蕉が、俳諧の道を極めんと移り住んだのが深川。37歳のことです。時は元禄。俳諧、歌舞伎をはじめ町人文化が興隆した時期です。同じ頃、ミカン船で財をなした紀伊国屋文左衛門も深川に居を構え、贅沢三昧をつくしていたといわれます。深川住まいながら好一対をなす二人。「清澄庭園」は紀伊国屋文左衛門の屋敷跡といわれ、現在の庭園は、明治期に三菱財閥の創設者岩崎弥太郎が造園したものが元になっています。詫び住まいと旅とを繰り返した芭蕉は、46歳の春、「おくのほそ道」へと旅立ちます。
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
No.2 芭蕉庵史跡展望庭園
東京都江東区
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都営地下鉄新宿線・大江戸線森下駅より徒歩10分
弟子で、幕府御用魚問屋の杉山杉風(さんぷう)の尽力により、深川で侘び住まいを始めた芭蕉。庵を結んだのは、隅田川に注ぐ小名木川(おなぎがわ)の河口近くでした。なお、俳号・芭蕉の由来は、門人から芭蕉の株を贈られ、それが庭に茂ったことから。「芭蕉庵史跡展望庭園」は、そのゆかりの地である小名木川が隅田川に流れ込む角地にあります。隅田川から下流の清洲橋一帯を眺めるよう座す芭蕉像、芭蕉庵などを描いたパネル、そして芭蕉が植えられた公園は、爽やかな川風が吹き抜けます。
No.3 千住大橋
東京都足立区
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都営地下鉄新宿線・大江戸線森下駅より徒歩10分
元禄2年3月27日(陽暦1689年5月16日)の早朝、芭蕉と曾良は杉風の別荘・採茶庵(さいだあん)から、別れを惜しむ門人・知人とともに隅田川を船で千住へと向かいます。千住大橋の北詰にある千住の船着き場から芭蕉は千住に上がりました。徳川家康の江戸入府後、隅田川で最初にかけられた千住大橋。ここから伸びる日光街道を芭蕉は曾良とともにみちのくへと歩みだします。涙を流し合い門人・知人とわかれ、旅への不安を、上野・谷中など江戸名所の桜を再び見ることはいつになるのだろう、と「おくのほそ道」に記しました。
行く春や鳥啼き魚の目は涙






