名蕉地100選とは
松尾芭蕉が江戸・深川を後にして、日光から草深き奥州の地を目指し、松島、平泉を巡り、出羽三山、越後、金沢、そして美濃路に至る長大な道行き「おくのほそ道」を物したのは、今から300年前、絢爛たる元禄文化がまだ幕開けを告げたばかりの時代でした。
芭蕉が歩いた道のりには、荘厳な大自然の神秘はもとより、古人の叡智が詰まった創造物や、実直で豊かな暮らしぶりがあふれています。東北・北陸にとって観光資源の宝庫、まさに宝の山への道しるべとして相応しいこの名作に、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。
No.6 室の八島・大神神社
栃木県栃木市
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東武宇都宮線野州大塚駅より徒歩15分
日光東照宮をめざし日光街道を進んだ芭蕉は、小山宿の先で日光街道から分岐し今市宿へと向かう壬生道へと入ります。この旅の最初の歌枕の地、「室の八島(むろのやしま)」へ向かうためです。みちのくの各所に残る歌枕の地を訪れるのは、「おくのほそ道」の大きな目的のひとつ。大神神社(おおみわじんじゃ)の境内にある室の八島は、池に8つの小島があり、かつてはわき水に満たされていました。そこに水煙が立ち、平安時代以降「けぶり立つ地」として、多くの歌人が「煙」にちなんだ歌を詠んできました。芭蕉が立ち寄った当時、すでに池の水は枯れていました。「おくのほそ道」では、曾良が神社の由来などを語るかたちで、さりげなく同行者・曾良が登場します。
No.7 日光街道杉並木
栃木県日光市
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JR日光線今市駅・東武日光線上今市駅より徒歩20分(杉並木公園)
室の八島へ立ち寄るために日光街道をそれた芭蕉は、今市で再び日光街道に出て、東照宮をめざします。今市付近から日光の神橋(しんきょう)までは、街道の両側30km以上にわたって杉並木が続きます。これは徳川家康を祀る東照宮への参道の並木として、寛永2年(1625)より20年以上の歳月をかけて植えられたもの。人々は杉木立がつくりだす厳粛な雰囲気に包まれ、一歩一歩東照宮へと向かったことでしょう。現在は、樹齢380年余、高さ30mに及ぶ巨木が1万本以上残り、往時をしのばせてくれます。
No.8 日光東照宮
栃木県日光市
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JR日光線・東武日光線日光駅より東武バス中善寺温泉行きで約10分西参道下車すぐ
芭蕉が日光へ到着したのは昼過ぎのこと。江戸からの紹介状をもって拝観を願い出たのですが、先方に来客があり午後遅くまで待たされ、ようやく拝観を許されました。日光を目指す人の一番の目的は、なんといっても陽明門でしょう。東照宮本社の前に立つ陽明門は、当時の装飾技術の粋が尽くされ、見飽きることがありません。当時、武士は門の中の石畳、庶民は門の前に土下座して拝したとのこと。芭蕉がどのように拝んだかは、興味深いところです。
あらとうと青葉若葉の日の光
No.9 男体山
栃木県日光市
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JR日光線・東武日光線日光駅より東武バス中善寺温泉行きで約8分西参道下車、徒歩5分
「おくのほそ道」で「黒髪山」と記された「男体山」は、二荒山(ふたらさん)とも日光山とも呼ばれてきました。勝道上人の開基と伝えられる二荒山神社は、この男体山全体を神域とし、頂上には二荒山神社の奥の宮があり、日光山岳信仰の中心的な存在です。「おくのほそ道」では、ここで曾良の作だという句とともに、曾良のプロフィールを詳しく紹介しています。
剃り捨てて黒髪山に衣更(曾良)
No.10 裏見の滝
栃木県日光市
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JR日光線・東武日光線日光駅より東武バス中禅寺温泉行きで約12分裏見の滝下車、徒歩40分
東照宮参拝後、鉢石に宿をとった芭蕉は、翌日、大谷川(だいやがわ)の支流である荒沢川の上流にある「裏見の滝」へ見物しました。滝の裏側へと入った芭蕉は、俗世間から切り離されたような感慨にひたり、岩窟に身をひそめる僧衣の自分を修行僧に見立て句を詠みました。その後、含満ガ淵(かんまんがふち)に立ち寄り、日光訪問を切り上げました。
しばらくは滝にこもるや夏の初め
No.11 かさね橋と那須連峰
栃木県大田原市
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JR東北本線野崎駅より徒歩40分
日光から次に芭蕉がめざしたのは黒羽(くろばね)の城下です。今市を出て大渡(おおわたり)で鬼怒川を渡り、雨降る夕暮れ玉生(たまにゅう)にたどりつき、農家に一夜の宿を借りました。翌日、黒羽へ向けて出立。矢板あたりから視界が開け前方には那須野が広がり、はるか先に那須連峰が見えるように。この先、迷路のような野道が続くことから、芭蕉は農夫に馬を借ります。このとき芭蕉が乗った馬の後を追ってきた女の子に名前をたずねると「かさね」と答えました。その優雅な響きの名をとり、曾良の句として一句を添えています。なお、黒羽に向かう芭蕉が越えたであろう箒川(ほうきがわ)には、現在「かさね橋」と銘打たれた橋があり、那須連峰を望む絶景で知られます。
かさねとは八重撫子の名なるべし(曾良)
No.12 修験光明寺跡
栃木県大田原市
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JR東北本線西那須野駅より車で約20分、東北新幹線那須塩原駅より車で約20分
那須野を越え、黒羽城下へ到着した芭蕉を迎えたのは、黒羽藩城代家老の浄法寺図書高勝(じょうぼうじずしょたかかつ)、その弟の岡豊明(おかとよあきら)の兄弟。兄は桃雪(とうせつ)、弟は翠桃(すいとう)の俳号を芭蕉から与えられています。2人をはじめ多くの俳諧仲間からあたたかいもてなしを受けこともあり、芭蕉の黒羽城下逗留は13泊14日におよびました。2人の家を拠点に、雲巌寺(うんがんじ)、玉藻(たまも)稲荷神社、那須神社などへ出向き、修験道の寺である「修験光明寺(しゅげんこうみょうじ)」(今は廃寺、跡地に句碑がある)の行者堂で長旅の安全を願いました。
夏山に足駄を拝む首途かな
No.13 雲厳寺
栃木県大田原市
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JR東北本線西那須野駅より車で約55分、東北新幹線那須塩原駅より車で約60分
黒羽訪問の大きな目的のひとつが、「雲厳寺(うんがんじ)」の参拝です。そこは深川で親交のあった禅の師匠である仏頂和尚(ぶっちょうおしょう)が修行を積んだ地です。寺の裏山へとのぼり、岩の上にある仏頂和尚の山ごもりの跡を見た芭蕉。古い中国の高僧の修業の様子などを思い浮かべ、1句をものしています。なお、「おくのほそ道」では、雲厳寺参拝は黒羽滞在の最後となっていますが、実際は到着の翌々日に訪ねています。ここにも、芭蕉が仏頂和尚に寄せる思いがうかがえます。
木啄も庵は破らず夏木立
No.14 那須温泉・殺生石
栃木県那須町
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JR東北本線黒磯駅より東野バス那須温泉郷行きで那須湯本下車徒歩5分
黒羽から途中一泊ののち、芭蕉は那須湯本へ向かいます。途中、馬を引く従者から一句求められたという設定で「おくのほそ道」に句を記しています。温泉宿でくつろいだ翌日、まず那須与一ゆかりの「那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)」を参拝。その後、神社横の斜面に広がる「殺生石(せっしょうせき)」を見物に。おどろおどろしい名前の由来は、石の周囲からガスが噴出し、このガスで死ぬ鳥獣が多かったことから。ガスが自噴し、周囲には植物が生えない荒涼たる荒れ地が広がります。
野を横に馬引き向けよほととぎす
No.15 芦野・遊行柳
栃木県那須町
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JR東北本線黒田原駅より車で15分
那須湯本を発った芭蕉は芦野宿へと向かいます。その目的は、芭蕉が尊敬する西行はじめ多くの歌人が歌に詠んだ歌枕「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」を見るためです。芭蕉が訪ねたのは4月20日(陽暦6月7日)。西行の「道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ」の歌を思い時のたつのを忘れたその目の前には、田植えが終わり苗が一面に並ぶ田が広がります。その感興を一句にしました。
田一枚植ゑて立ち去る柳かな






