名蕉地100選とは
松尾芭蕉が江戸・深川を後にして、日光から草深き奥州の地を目指し、松島、平泉を巡り、出羽三山、越後、金沢、そして美濃路に至る長大な道行き「おくのほそ道」を物したのは、今から300年前、絢爛たる元禄文化がまだ幕開けを告げたばかりの時代でした。
芭蕉が歩いた道のりには、荘厳な大自然の神秘はもとより、古人の叡智が詰まった創造物や、実直で豊かな暮らしぶりがあふれています。東北・北陸にとって観光資源の宝庫、まさに宝の山への道しるべとして相応しいこの名作に、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。
No.64 乙宝寺三重塔
新潟県胎内市
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JR羽越本線中条駅より車で20分
羽州街道を進んだ芭蕉は、村上で曾良がかつて仕えていた主家筋にあたる村上藩家老を訪ね、もてなしを受け2泊。続いて新発田藩領へと入り、乙村の庄屋をたずねます。たいへんな歓待を受け、「乙宝寺(おっぽうじ)」へ参拝に行きます。寺の境内に現存する三重塔は、江戸初期のもので、まだまだ新しかった三重塔を芭蕉も目にしたことでしょう。
No.65 万代橋
新潟県新潟市
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JR新潟駅より徒歩15分
芭蕉が新潟を訪れたのは湊祭の時期にあたっていました。そのため大部屋に次々と宿泊者を入れるような宿しかあきがありませんでした。困っていた芭蕉に大工源七の母が現れ、自宅に泊めてくれた、と曾良の「随行日記」にあります。源七の家があったのは、現在も新潟の繁華街である古町にほど近い場所であったようです。新潟市のシンボルである「万代橋(ばんだいばし)」は、信濃川河口にかかる全長307mの6連アーチの橋。例年8月初旬に行われる「新潟まつり」でも行列が通ります。
No.66 彌彦神社
新潟県弥彦村
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JR弥彦線弥彦駅より徒歩10分
新潟を出発した芭蕉は弥彦に向かいます。当時、海岸沿いは崖が続く難所で、街道はこれを避けるため弥彦山の東側を通っていたのです。越後平野のシンボルともいえる弥彦山の東の麓には、芭蕉も参拝した越後の国一の宮である「彌彦神社(やひこじんじゃ)」があります。万葉集の歌にもその名が記された古社は、弥彦山を背景に立ち、神々しさを漂わせています。
No.67 西生寺
新潟県長岡市
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JR越後線寺泊駅より車で20分
弥彦神社の近くに宿をとった芭蕉は、翌日、即身仏のある「西生寺(さいしょうじ)」に立ち寄ります。即身成仏した弘智法印のミイラは、現存する日本最古のもの。境内にある弘智堂(こうちほういん)に、ミイラは安置されており、拝観することができます。また、境内裏手からは雄大な日本海の眺望が楽しめることでも知られます。
No.68 出雲崎
新潟県出雲崎町
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JR越後線出雲崎駅より車10分(大崎屋跡)
弥彦から寺泊を経て北国街道を進んだ芭蕉は「出雲崎(いずもざき)」で大崎屋という旅籠に宿泊しました。現在の出雲崎は、日本海の典型的な町のたたずまいを今に残しており、旧北国街道沿いに面する「妻入り」の家並みで知られます。また出雲崎は名僧・良寛が生まれた地でもあり、町のそこここに良寛をしのぶ施設などがあります。
文月や六日も常の夜には似ず
No.69 越後路の日本海
新潟県新潟市ほか
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JR越後線各駅下車
一般に「荒海や……」の句は、出雲崎で詠まれたものとされています。しかし、出雲崎からは佐渡島へと横たわるように天の河が見えることはないといわれます。しかも芭蕉が出雲崎へやって来た日は雨。さらに、夏の日本海は穏やかで、荒海からはほど遠い状況です。「おくのほそ道」の旅ののち、この句に芭蕉がつけた「銀河ノ序」によれば、宵の口の時間に見た佐渡の島影、月や星などが醸した感興と、かつて佐渡島へ流された高貴な人々へ思いが重なり、創作された句となったようです。
荒海や佐渡に横たふ天の河
No.70 五智国分寺
新潟県上越市
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JR信越本線直江津駅より車で10分
出雲崎から柏崎、鉢崎と歩き続けた芭蕉は、今町と呼ばれた直江津へと入ります。直江津、高田に5泊したのち芭蕉は、春日山城を左手に見ながら進み、「五智国分寺(ごちこくぶんじ)」に寄ります。同寺は、越後に流罪となった親鸞が草庵を結び過ごしたことで知られ、境内の三重塔は、越後では乙宝寺の三重塔とならぶ存在です。
No.71 白山神社
新潟県糸魚川市
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JR北陸本線能生駅より徒歩15分
高田から海沿いに北国街道を進んだ芭蕉は、名立(なだち)を経て能生(のう)にて宿泊します。宿を求めたあと、芭蕉は同地の庄屋の家に招かれ、潮が満ちてくると誰も触らないのに鳴り響いたという汐路の鐘の話を聞きました。芭蕉が訪れたころには破損しており鐘は鳴りませんでした。この不思議な鐘が今も安置されているのが「白山神社」です。室町時代に建立されたという古社で、茅葺きの拝殿、三間社流造の本殿などが素朴さのなかにも風格を漂わせています。
No.72 親不知海岸
新潟県糸魚川市
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JR北陸本線親不知駅より車で10分
北国街道の難所として知られる「親不知(おやしらず)」を越えるべく能生を旅立った芭蕉。途中、早川の流れでつまづき衣服を濡らすトラブルはあったもの糸魚川へ到着。さらに親不知を越えるために進みます。芭蕉の時代の親不知は、断崖の下の荒波が押し寄せる波打ち際を通る必要がありました。しかし夏の間は穏やかな日本海。芭蕉は苦もなく親不知を通過したようです。現在、当時の波打ち際は失われ歩くことはできません。現在は遊歩道となっている旧国道から断崖をのぞくことができます。
No.73 市振・海道の松
新潟県糸魚川市
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JR北陸本線市振駅より徒歩20分
難所といわれた親不知を通過した芭蕉は、市振(いちぶり)までやってきます。現在、市振集落の東端には「海道の松(かいどうのまつ)」と呼ばれる樹齢200年以上の松の大木があり、長年、親不知を越えた旅人の目印となってきました。市振で芭蕉が泊まったのは桔梗屋(ききょうや)という宿。ここで芭蕉は伊勢詣りの途中だという遊女に会い、2人の身の上話などを聞きます。そして翌日、同道を求められますが、理由をつけこれを断りました。
一つ家に遊女も寝たり萩と月






