芭蕉道 日本人のこころのふるさと

芭蕉道限定プログラム 名蕉地100選 芭蕉人 芭蕉道沿いの日帰り温泉 森村誠一、謎の奥の細道をたどる 魂身ルポ 現代によみがえる!松尾芭蕉の軌跡

名蕉地100選 芭蕉がたどった絶景と古寺名刹コレクション

名蕉地100選とは

松尾芭蕉が江戸・深川を後にして、日光から草深き奥州の地を目指し、松島、平泉を巡り、出羽三山、越後、金沢、そして美濃路に至る長大な道行き「おくのほそ道」を物したのは、今から300年前、絢爛たる元禄文化がまだ幕開けを告げたばかりの時代でした。
芭蕉が歩いた道のりには、荘厳な大自然の神秘はもとより、古人の叡智が詰まった創造物や、実直で豊かな暮らしぶりがあふれています。東北・北陸にとって観光資源の宝庫、まさに宝の山への道しるべとして相応しいこの名作に、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。

No.35 高館・義経堂

岩手県平泉町

高館・義経堂

アクセス
JR東北本線平泉駅より徒歩10分

石巻から登米を経由して雨のなか一関にたどりつき、宿をとった芭蕉。翌朝、いよいよ待望の平泉へと出かけます。そこは、芭蕉が心にかけてやまない源義経が最後を遂げた地であり、奥州藤原氏の栄華と滅亡の地でもあります。芭蕉がまっさきに訪れたのは「高館・義経堂(たかだち・ぎけいどう)」です。北上川を望むこの地は、かつて義経の屋敷があり、藤原泰衡の兵に襲撃され自害した場所。芭蕉は、今は草むらとなった戦場の跡を眺めながら、その悲劇を回顧し涙しました。

夏草や兵どもが夢の跡

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No.36 無量光院跡

岩手県平泉町

無量光院跡

アクセス
JR東北本線平泉駅より徒歩5分

平泉は平安末期、11世紀後半から100年にわたり奥州藤原氏が統治した、みちのくの都。仏教を中心に据えた絢爛たる文化の華が咲きました。清衡、基衡、秀衡と3代にわたり、寺院や館が軒を連ねた平泉ですが、栄華を極めた平泉文化は跡形もありません。芭蕉が訪れた当時、まわりは農村風景が続いていました。秀衡が宇治平等院をモデルに建立したといわれる「無量光院(むりょうこういん)」、秀衡の館であった「伽羅の御所(きゃらのごしょ)」も田野になってしまいました。そこにも、芭蕉は大いなる無常を感じたようです。

卯の花に兼房見ゆる白毛かな(曾良)

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No.37 中尊寺

岩手県平泉町

中尊寺

アクセス
JR東北本線平泉駅より徒歩25分(月見坂入口)

高館をあとにした芭蕉は、中尊寺通りを進み、中尊寺の表参道である月見坂をのぼり金色堂(こんじきどう)と経堂(きょうどう)を拝観しました。嘉祥3年(850)開基といわれる中尊寺は、奥州藤原氏3代の仏教による平和都市造りの中核となる寺院のひとつでした。なかでも藤原文化の象徴ともいえるが金色堂です。当初はむき出しのまま、東北の厳しい自然にさらされていましたが、正応元年(1288)に鎌倉幕府により、風雪の害から保護するための覆堂(おおいどう)が設けられました。芭蕉が見たのはこの木造の覆堂(現在の旧覆堂)です。本来なら朽ち果てたであろう金色堂の絢爛たる姿に大きな感慨を得ました。

五月雨の降り残してや光堂

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No.38 毛越寺

岩手県平泉町

毛越寺

アクセス
JR東北本線平泉駅より徒歩7分

平泉で中尊寺と並ぶ寺が「毛越寺(もうつうじ)」です。その開山は嘉祥3年(850)と伝えられ、以降、藤原氏が今生の極楽浄土として境内を整えました。藤原氏2代の基衡の時代から3代秀衡の時代にかけ、多数の伽藍が造営され、中尊寺をしのぐほどの規模を誇ったといわれます。芭蕉は毛越寺を訪れていませんが、平泉を訪れたならぜひ、平安のかおりが色濃く残る境内を散策してみたいものです。

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No.39 配志和神社

岩手県一関市

配志和神社

アクセス
JR東北本線・東北新幹線一ノ関駅より徒歩40分

芭蕉は平泉訪問に際して、一関をベースにしました。1泊の後に平泉を訪れ、その日も一関に宿泊しました。そんなことから、芭蕉が宿泊した家は「二夜庵(ふたやあん)」と呼び習わされています。芭蕉の一関から平泉への足取りは、宿を出て磐井川にかかる磐井橋を渡り、旧奥州街道を北へと進みました。この道から左手の方向に、鬱蒼とした木々に囲まれた「配志和神社(はいしわじんじゃ)」があります。平泉への道を急いだ芭蕉は訪れていませんが、創建は約1900年前といわれる古社は、きっと当時も今と同じような姿でこの地に鎮座していたことでしょう。

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No.40 尿前の関跡

岩手県大崎市

尿前の関跡

アクセス
JR陸羽東線鳴子温泉駅より徒歩25分

念願の平泉訪問を果たした芭蕉の次なる目的地は、鈴木清風の待つ尾花沢です。先を急ぐ芭蕉は、岩出山まで足を伸ばして1泊。翌日は、尾花沢までの距離をつめるため中山越えの道を行きます。古くからの温泉地・鳴子温泉を左手に眺めながら、仙台藩と新庄藩の藩境である「尿前の関(しとまえのせき)」にたどりつきます。厳しい取り調べの後、ようよう関を抜けた芭蕉は、出羽街道中山越えと呼ばれる難所へ挑みます。

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No.41 鳴子峡

岩手県大崎市

鳴子峡

アクセス
JR陸羽東線鳴子温泉駅より車で5分

尿前の関からほど近い、大谷川が刻んだ深さ100mに達する断崖絶壁は鳴子峡と呼ばれています。緑に染まる新緑の春、燃えるような紅葉の秋、そして水墨画を思わせる冬と、季節ごとにすばらしい渓谷美を見せてくれますが、芭蕉が尿前の関から堺田へと向かった当時は、この渓谷を見下ろせる道はなかったようです。今では遊歩道が整備されており、渓谷美を堪能することができます。

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