芭蕉道 日本人のこころのふるさと

芭蕉道限定プログラム 名蕉地100選 芭蕉人 芭蕉道沿いの日帰り温泉 森村誠一、謎の奥の細道をたどる 魂身ルポ 現代によみがえる!松尾芭蕉の軌跡

名蕉地100選 芭蕉がたどった絶景と古寺名刹コレクション

名蕉地100選とは

松尾芭蕉が江戸・深川を後にして、日光から草深き奥州の地を目指し、松島、平泉を巡り、出羽三山、越後、金沢、そして美濃路に至る長大な道行き「おくのほそ道」を物したのは、今から300年前、絢爛たる元禄文化がまだ幕開けを告げたばかりの時代でした。
芭蕉が歩いた道のりには、荘厳な大自然の神秘はもとより、古人の叡智が詰まった創造物や、実直で豊かな暮らしぶりがあふれています。東北・北陸にとって観光資源の宝庫、まさに宝の山への道しるべとして相応しいこの名作に、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。

No.82 願念寺

石川県金沢市

願念寺

アクセス
JR金沢駅より車で10分

倶利伽羅峠を越え、なだらかな坂を下った芭蕉は金沢にたどり着きます。宿をとると、さっそく使いを出し、小杉一笑(こすぎいっしょう)に来訪を伝えようとしました。ところが、宿に届いたのは、一笑が前年に36歳の若さで死去していたという知らせでした。その才能を大いに評価し、金沢での再開を心待ちにしていた一笑の死は、芭蕉に深い悲しみを与えました。そして、一笑の兄が主催した、菩提寺である「願念寺(がんねんじ)」での追善供養で慟哭の句を詠みました。

塚も動けわが泣く声は秋の風

No.83 ひがし茶屋街

石川県金沢市

ひがし茶屋街

アクセス
JR金沢駅より北鉄バス橋場町下車、徒歩10分

金沢は浅野川、犀川を天然の外堀として、その外側に寺院を配置、台地の上に金沢城と兼六園が配された城塞都市です。現在も様々な建物、通りに江戸情緒がふんだんに残っていますが、古都ならではの茶屋街も金沢の風情を盛り上げる貴重な文化財。金沢に着いた芭蕉が最初に泊まった宿は、現在の「ひがし茶屋街」近くだったようです。浅野川沿いにあるひがし茶屋街、犀川沿いのにし茶屋街、そして浅野川大橋下流の主計町(かずえちょう)と3つの茶屋街が健在です。

秋涼し手ごとにむけや瓜茄子

No.84 浅野川の橋

石川県金沢市

浅野川の橋

アクセス
JR北陸本線各駅

倶利伽羅峠から北国街道を進むと、金沢城下の北を流れる浅野川にかかる浅野川大橋にたどりつきます。ここからが、いよいよ金沢の中心地となります。江戸期には、金沢城下への北の玄関口であり、橋を渡ると番所があり、通行人は身分を改められました。現在の橋は大正期のもので、美しいアーチ型が大正ロマンを伝えます。

あかあかと日はつれなくも秋の風

No.85 建聖寺

石川県小松市

建聖寺

アクセス
JR北陸本線小松駅徒歩10分

金沢で9日間を過ごし、芭蕉は多くの知己を得ます。その後は、盛夏を歩きつめて疲れた体をいやすため、小松経由で山中温泉に湯治に向かう予定でした。金沢からは体調のすぐれない曾良を助けるため北枝が同行します。芭蕉の金沢滞在は小松の俳人たちにも伝わっており、心待ちにしていた彼らの歓待を受け、1泊のつもりが3日を過ごすことになりました。小松で芭蕉が滞在したところのひとつと言われるのが「建聖寺(けんしょうじ)」です。寺には、蕉門十哲に数えられる立花北枝の作である、木製の芭蕉座像が残されています。

しをらしき名や小松吹く萩薄

No.86 多太神社

石川県小松市

多太神社

アクセス
JR北陸本線小松駅より徒歩15分

小松滞在2日目、芭蕉は「多太神社(ただじんじゃ)」へ参拝します。ここには、木曾義仲が奉納した斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が着用した兜・鎧・臑当があります。源義朝に仕えていた実盛は、一族の争いで殺されかけた幼少の義仲を木曾へ逃がした、義仲の命の恩人です。しかし時移り、実盛は平氏に仕えることになり、義仲とは敵味方になります。倶利伽羅峠の戦いで敗走した平家にあって、孤軍奮闘したのが老武者の実盛でした。高齢を悟られまいと髪を黒く染めて奮戦した実盛ですが、とうとう討ち取られます。討ち取られた首を見た義仲は、実盛なら白髪のはずといぶかり、家臣が首を洗ってみると、はたして白髪が現れました。義経同様に義仲びいきでもあった芭蕉は、この運命の皮肉に心動かされ句を詠みました。現在も多太神社には、実盛の遺品が収蔵されています。

むざんやな甲の下のきりぎりす

No.87 那谷寺

石川県小松市

那谷寺

アクセス
JR北陸本線加賀温泉駅より車で30分

「おくのほそ道」では、小松から山中温泉へ向かう途中に「那谷寺(なたでら)」へ寄ったことになっています。しかし、実際は山中温泉での湯治のあと用事があって小松へ戻る途中に那谷寺を訪れたようです。那谷寺は創建が養老元年(717)といわれる古刹。戦乱でいったん焼失しますが、加賀藩3代藩主前田利常が再興しました。山あいに白い岩が風化して奇観を見せ、そここにお堂や塔をはじめとした建築物が点在。寺全体が庭のような癒しに満ちた空間です。

石山の石より白し秋の風

No.88 山中温泉街

石川県加賀市

山中温泉街

アクセス
JR北陸本線加賀温泉駅より車で15分

真夏の日本海沿いを歩き続け疲労のたまった芭蕉は、山中温泉に長逗留し疲れを癒しました。山中温泉は有馬、草津と並ぶ名湯に数えられ、古来より多くの湯治客で賑わいました。当時は「総湯」と呼ばれる共同湯を中心に、まわりに宿泊用の旅館が集まっていました。山中温泉の総湯は、芭蕉の句にちなんで菊の湯と呼ばれ、男湯のみ。女湯はすぐ近くの山中座にあります。

山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ

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No.89 鶴仙渓

石川県加賀市

鶴仙渓

アクセス
JR北陸本線加賀温泉駅より車で15分

大聖寺川上流の谷あい、渓谷に沿って旅館が建ち並ぶ山中温泉。渓谷の西側は、「鶴仙渓(かくせんけい)」と呼ばれる散策に格好の場所となっています。芭蕉も橋上から、かがり火を焚いて川魚を捕る光景を見て、「いさり火にかじかや波の下むせび」と詠んでいます。また、黒谷橋や道明ヶ淵(どうめいがふち)を歩いてもいるようです。

行き行きて倒れ伏すとも萩の原(曾良)

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No.90 山中温泉・医王寺

石川県加賀市

山中温泉・医王寺

アクセス
JR北陸本線大聖寺駅より車で25分

芭蕉が山中温泉で宿泊した泉屋の主人はまだ14歳の少年でした。実際は、その叔父で俳人の自笑が宿を切り盛りし、芭蕉を招いたのです。彼の才能を高く評価した芭蕉は、自分の俳号「桃青」から一字をとって桃妖という俳号をあたえました。桃妖の墓は温泉街の西の山沿いにあり、その近くに行基の開基と伝えられ、温泉守護仏として薬師如来を祀る「医王寺(いおうじ)」があります。寺には「芭蕉の忘れ杖」と伝えられる品も収蔵されています。

今日よりや書付消さん笠の露

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No.91 全昌寺

石川県加賀市

全昌寺

アクセス
JR北陸本線大聖寺駅より車で5分

大聖寺(だいしょうじ)は、加賀の南端にあたり、越前との防衛上の拠点となった城下町です。曾良と芭蕉が行き違った「全昌寺(ぜんしょうじ)」は、大聖寺城主山口玄蕃の菩提寺で、曹洞宗の寺。芭蕉は、修行僧が寝起きする寮舎に泊まりました。翌日、朝食後に旅立とうとした芭蕉に若い僧が何か書いてくれと懇願。一句を書き残しました。現在、全昌寺には、芭蕉門下の杉山杉風作の芭蕉の木像が安置され、芭蕉が宿泊した部屋は茶室として復元されています。

よもすがら秋風聞くや裏の山(曾良)

庭掃きて出でばや寺に散る柳

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