芭蕉道 日本人のこころのふるさと

芭蕉道限定プログラム 名蕉地100選 芭蕉人 芭蕉道沿いの日帰り温泉 森村誠一、謎の奥の細道をたどる 魂身ルポ 現代によみがえる!松尾芭蕉の軌跡

名蕉地100選 芭蕉がたどった絶景と古寺名刹コレクション

名蕉地100選とは

松尾芭蕉が江戸・深川を後にして、日光から草深き奥州の地を目指し、松島、平泉を巡り、出羽三山、越後、金沢、そして美濃路に至る長大な道行き「おくのほそ道」を物したのは、今から300年前、絢爛たる元禄文化がまだ幕開けを告げたばかりの時代でした。
芭蕉が歩いた道のりには、荘厳な大自然の神秘はもとより、古人の叡智が詰まった創造物や、実直で豊かな暮らしぶりがあふれています。東北・北陸にとって観光資源の宝庫、まさに宝の山への道しるべとして相応しいこの名作に、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。

No.16 境の明神

福島県白河市

境の明神

アクセス
JR東北本線白河駅より車で20分

奥州街道を芦野から寄居を経て進んだ芭蕉は、「境の明神(さかいのみょうじん)」にたどりつきました。白坂峠といわれるこの地は、まさに関東と奥州の境。峠道で国境をはさみ2つの神社が並び、2社をあわせて境の明神と呼び習わしています。古代より国境には男女の神を向かい合わせに祀り、境界の標識とするのが習わしでした。女神は玉津島明神、男神は住吉明神で、いずれも国境の神・和歌の神として知られます。女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰から、関東側、奥州側とも自分の側を「玉津島明神を祀る」、反対側を「住吉明神を祀る」としています。

No.17 白河の関跡

福島県白河市

白河の関跡

アクセス
JR東北本線白河駅より車で20分

奥州へと入った芭蕉は、旗宿で1泊後、白河神社に参拝。宿の主人にそこが「白河の関跡」だと教えられたようです。白河の関は、北方への守りを目的に平安初期に設けられ、平安中期には廃止されました。しかし、みちのくの玄関口として、多くの都人の歌心を誘い、歌枕の地として知られます。関はとうに廃絶されていますが、現地を訪れた芭蕉はその地に立つことで、風雅の世界に心遊ばせました。そして、今が盛りの真っ白な卯の花を曾良が句に詠み込みました。

卯の花をかざしに関の晴れ着かな(曾良)

No.18 矢吹五本松旧道

福島県矢吹町

矢吹五本松旧道

アクセス
JR東北本線矢吹駅より徒歩30分

念願の白河の関跡に立ち、みちのくへと歩を進めた芭蕉。次の目的地は旧知の俳人・相楽等躬(さがらとうきゅう)の住む須賀川です。奥州街道を北へ、左手に磐梯山や那須連峰、右手に阿武隈山地を見ながら一路、須賀川をめざします。この道行きの途中、白河の先、矢吹町には、約800mの松並木「矢吹五本松旧道(やぶきごほんまつきゅうどう)」があります。その風情は、かつての街道を彷彿とさせてくれます。

世の人の見付けぬ花や軒の栗

No.19 十念寺

福島県須賀川市

十念寺

アクセス
JR東北本線須賀川駅より車で5分

須賀川で芭蕉が訪ねたのは、当地の豪商である相楽等躬(さがらとうきゅう)。江戸で知り合い、10年ぶりの再開となった彼の家に、芭蕉は7泊しています。第一夜に早くも句会を楽しみました。白河の関越えでできた句をたずねられた芭蕉は、白河の関ゆかりの古歌や故事をしのぶのが精一杯だった、と答えながらも、発句となる一句を差し出しました。翌日以降、宿場周辺に出歩いたりして滞在を楽しんだ芭蕉は、出発する前日に「十念寺(じゅうねんじ)」に参拝しています。

風流の初めや奥の田植ゑ歌

No.20 乙字ヶ滝

福島県須賀川市

乙字ヶ滝

アクセス
JR東北本線須賀川駅より車で20分

須賀川の等躬宅を出発した芭蕉の次の目的地は郡山。途中、乙字ヶ滝(おつじがたき・当時の名称は石河の滝)の見物に立ち寄ります。那須連峰を水源とする阿武隈川の約100mの川幅いっぱいに流れ落ちる滝です。滝とはいっても落差は3、4mで、滝がくねりながら岩肌を清浄な水が洗います。爽快な滝の様子を芭蕉は楽しみました。

No.21 安積山公園

福島県郡山市

安積山公園

アクセス
JR東北本線日和田駅より徒歩15分

郡山を日の出とともに出発した芭蕉は、歌枕の地「安積山(あさかやま)」へと向かいます。ここで芭蕉は「かつみ」の花を探します。古今集の「みちのくのあさかの沼のはなかつみ かつ見る人に恋やわたらむ」で知られる花かつみです。しかし、土地の人にたずねても、この時代にかつみの花を知る人はおらず、いたずらに時は過ぎ、道行きを急ぐことになります。

No.22 観世寺

福島県二本松市

観世寺

アクセス
JR東北本線二本松駅より車で10分

奥州街道を北へ進んだ芭蕉は、二本松へ入ります。ここで芭蕉は、阿武隈川のほとりにある鬼婆伝説で知られる「黒塚」へ、さらに近くにある「観世寺(かんぜじ)」の岩屋へ足を向けます。お堂の屋根に達するほどの大岩や奇岩があり、鬼婆の住家であった岩屋、出刃包丁を洗った血の池など、おどろおどろしい名が付けられています。

No.23 信夫の里・信夫山・文知摺石

福島県福島市

信夫の里・信夫山・文知摺石

アクセス
JR福島駅より車で20分

福島を出立した芭蕉が向かったのは信夫の里(しのぶのさと)。歌枕として名高い「文知摺石(もじずりいし)」を見るためです。「みちのくの忍もぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」で知られる文知摺石。「もじずり」とは、石の表面に絹などの布をあて、忍草の葉などを摺りこみ、もじれ乱れた模様を染め出したもの。ところが、その石は谷に落とされ石の表面が下向きになって横たわっていました。芭蕉は苗代から早苗をすばやく田に移し植える乙女の手つきに、かつてのしのぶずりの手つきを重ねて句を詠みました。

早苗とる手もとや昔しのぶ摺り

No.24 飯坂温泉・医王寺

福島県福島市

飯坂温泉・医王寺

アクセス
福島交通飯坂温泉駅より徒歩5分

文知摺石のあわれな姿に少々落胆したであろう芭蕉は、藤原秀衡に仕えた佐藤基治一族の菩提寺である「医王寺」に向かいます。義経に従い戦死した基治と2人の息子の墓に芭蕉は手を合わせました。また、壮烈な最期を遂げた兄弟の嫁が、悲しみにひたる姑を慰めるため、なき夫の武具甲冑に身を固め「ただ今凱旋」と声をかけたという逸話があります。この悲話にも芭蕉は深い哀惜を覚え、句を詠みました。その日、芭蕉は飯坂温泉の旅籠に泊まり、露天の共同湯に入ったようです。

笈も太刀も五月に飾れ紙幟

No.25 甲冑堂・鐙摺

福島県白石市

甲冑堂・鐙摺

アクセス
JR東北本線白石駅より徒歩30分

かつて奥州藤原軍が源頼朝の軍勢を迎え撃つために設けたといわれる砦の跡、「伊達の大木戸」を越えて、芭蕉はいよいよ仙台藩領へと入りました。まず、奥州街道の難所のひとつであり、道が狭く険しいことから義経一行が馬のあぶみを巨石に摺って通ったと伝わる「鐙摺(あぶみずり)」を越えます。そして、近くの田村神社へ。境内にある「甲冑堂(かっちゅうどう)」には、飯坂の医王寺で涙した、佐藤兄弟の2人の嫁の像が安置されています。ここでの見聞が、医王寺のくだりの文章に生かされているのです。

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