名蕉地100選とは
松尾芭蕉が江戸・深川を後にして、日光から草深き奥州の地を目指し、松島、平泉を巡り、出羽三山、越後、金沢、そして美濃路に至る長大な道行き「おくのほそ道」を物したのは、今から300年前、絢爛たる元禄文化がまだ幕開けを告げたばかりの時代でした。
芭蕉が歩いた道のりには、荘厳な大自然の神秘はもとより、古人の叡智が詰まった創造物や、実直で豊かな暮らしぶりがあふれています。東北・北陸にとって観光資源の宝庫、まさに宝の山への道しるべとして相応しいこの名作に、森村誠一&おくのほそ道再生委員会が光を当て、現代、そして未来に残したい名勝地を‘名蕉地’と名付け、ベスト100景をセレクトしました。
No.58 能因島と鳥海山
秋田県にかほ市
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JR羽越本線象潟駅より徒歩20分
端正な山の姿から出羽冨士とも称される「鳥海山」。庄内平野の景観にはなくてはならないものです。酒田では進路前方に、進むにつれ右手に雄大な姿を見せる鳥海山の存在を意識しながら芭蕉は象潟(きさかた)へと向かいました。かつての象潟はその名のとおり、湖面に岩礁が浮かぶ優美な姿を見せていました。「能因島(のういんじま)」はそのうちのひとつで、平安時代の歌人である能因法師が住んだといわれます。歌人としての能因を崇敬する芭蕉は舟で、その島を訪れました。
汐越や鶴脛ぬれて海涼し
No.59 熊野神社
秋田県にかほ市
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JR羽越本線象潟駅より徒歩10分
雨が降り続く中、昼頃に象潟へ着いた芭蕉。能登屋をたずね、そこで衣類を乾かし、うどんをふるまわれ一息いれます。夕方、この日が祭礼であった「熊野神社」へ行き、踊りなどを見物。神社の脇にある欄干橋から、雨中の鳥海山と象潟の風情を楽しみました。
象潟や料理何食ふ神祭り(曾良)
No.60 蚶満寺
秋田県にかほ市
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JR羽越本線象潟駅より徒歩15分
地元の俳人の世話で舟を借りた芭蕉は、まず能因島へ。そのあと「蚶満寺(かんまんじ)」をたずねます。目的は、かつて西行が歌ったというわれる桜の木。芭蕉は寺の方丈から、象潟の景色を楽しみました。現在、寺の境内には、象潟が海だったころに寺へ渡るために使った舟をつなぐ石などの遺跡が多く残っています。
象潟や雨に西施がねぶの花
No.61 有耶無耶の関
秋田県にかほ市
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JR羽越本線象潟駅より車で30分
現在の遊佐町とにかほ市のちょうど中間にあるのが三崎峠。秋田南部と庄内を結ぶ羽州浜街道でいちばんの難所でした。鬱蒼とした木々に囲まれた細い道は、岩がむきだしの部分が続きます。この付近は、かつて関所が置かれ、古歌に詠まれた「有耶無耶の関(うやむやのせき)」があったといわれます。しかし、芭蕉の時代には正確な場所は不明であったようです。旧道は現存しますが、関の遺構は何も見つかっていません。
蜑の家や戸板を敷きて夕涼み
No.62 九十九島
秋田県にかほ市
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JR羽越本線象潟駅より徒歩15分
象潟は元は潟湖で、湖面には多くの岩礁が浮かび「九十九島」と呼ばれる、情緒ある景観をつくっていました。西行、能因などの歌人も惹きつけられた場所で、芭蕉も松島と並ぶ景勝の地として訪問するのを楽しみにしていました。「おくのほそ道」でも素晴らしい描写でその景観を讃えています。その後、文化元年(1804)にこの地方を襲った大地震で湖底が隆起。湖面は一夜にして陸地となってしまいました。現在、湖底だった部分は水田が広がり、島が水田の中に取り残されています。水田に水の張られた初夏、しばし、往時の景観をしのばせてくれます。
波越えぬ契りありてや雎鳩の巣






